お通夜とお葬式は別々に行わなければならないのですか?

 目的が違いますので、別々に行います。

「おくる」というキーワードで考えるならば、前日の通夜は、夜を通して故人について語り明かし、故人のことを一人ひとりの胸に「憶る」儀式であるといえるでしょう。また当日の葬儀は、戒や血脈、引導などを授けることで故人を仏弟子とし、仏さまの世界へと「送る」儀式となります。

それぞれの目的の違いに目を向けていただければ、通夜と葬儀を別々に行う理由が明らかになります。

妊娠中なのですが、葬儀に参列してもいいのでしょうか?

 体調が良ければ、参列してさしあげましょう。

「妊娠中は葬儀に参列しないほうがいい」という声は、現在でも耳にします。その理由の根底には、死を穢れと考える日本古来の民俗風習があるのでしょう。

しかし仏教では、死を穢れと考えることは決してありません。葬儀は故人が仏弟子としての新しい命を授かる儀式でもありますので、お腹の中の新しい命とともに参列することが間違いであるとは考えられません。

ただし、「妊娠中は葬儀に参列しないほうが良い」という考えには、もう一つまったく異なる観点からの意味合いが含まれています。喪主家の皆さまは、臨終から葬儀が執り行われるまでの数日、大変慌ただしくなります。時にそれは妊婦さんの身体と赤ちゃんに負担をかけることがあるため、周囲の人々が「妊娠中は葬儀に参列しないほうがいい」との言い伝えを用いて母子を守ったというものです。

いずれにしましても、無理は良くありません。もし体調がすぐれないようであれば身体を休め、体調が良ければ参列し、故人をお見送りしてさしあげてください。

枕飾りの蝋燭を絶やすと、成仏できなくなってしまうのですか?

 絶やしたくないという気持ちを届けることが大切です。

燭の火を一瞬でも絶やしてしまったら成仏できなくなるということではありません。職燭は故人がお釈迦さまのもとを目指して歩む道を照らす、灯火を表しています。

お釈迦さまは「私がいなくなっても、私にすがるのではなく、一人ひとりが『自己』を灯明とし、『法(教え)』を灯明として生きなさい」と、弟子たちに説き示しました。暗闇を歩くときには灯火を頼りとするように、「自己」と「教え」を頼りとして仏道を歩んでほしい。故人に届ける燭の灯りには、そのような想いが込められているのです。

お葬式は、自宅・寺院・葬儀会館のどこで行うのがいいですか?

 それぞれに良さがあります。

最近は葬儀会館などを利用しての葬儀が多くなりました。しかし自宅や寺院での葬儀を望む方ももちろんいらっしゃいます。それぞれの場所にどのような良さがあるのかを挙げてみたいと思います。

【自宅】故人にとって一番ゆかりのある場所。遺族の方が安らかに過ごせる。ご近所の方々が参列しやすい。

【寺院】菩提寺のご本尊さまに見守られる場所。普段からお参りしていて馴染みがある。法要を行うための場所である本堂には、ほかにはない荘厳な雰囲気がある。

【会館】葬儀を行う設備が常に整っている。遺族の負担が少ない。

生前に故人の意向を聞いていればそれも考慮し、それぞれの良さを認識した上で、どこで葬儀を行うかを決めていただくことが望ましいでしょう。

納骨する気持ちの整理がつきません。どうすればいいでしょうか?

 必ずふさわしい時がやってきます。

いつまでに納骨をしなければいけないという決まりはありません。大切な方を亡くした悲しみというものは、筆舌に尽くし難い苦しみです。納得できるまで、故人の遺骨を身近なところにお祀りしておくことはできます。

ただ一つお伝えしたいのは、納骨をしたからといって、故人はどこか遠くへいってしまうわけではないということです。ご自宅の仏壇には故人の位牌があり、そこではご本尊さまが故人とあなたとを見守っています。故人は変わらずにあなたの傍にいるのです。

また遺骨には、墓地や納骨堂といった納めるべき場所というものがきちんとあります。納骨をすることで気持ちの整理がついたという方もいらっしゃいます。遺骨は墓地へ納め、位牌はご自宅の仏壇にお祀りし、手を合わせてさしあげるということも、故人にとってふさわしい在りかたなのかもしれません。

四十九日までのお花はどんな花がよろしいですか?

この花でなければならないという決まりはありません。

ただし、四十九日までが忌中であることを考慮しますと、お供えする花はあまり派手過ぎず、優しく落ち着きのある色合いの花が適しているということはいえるかもしれません。実際、一般的に多く用いられている花は、菊、百合、蘭などです。

しかしながら、葬儀の際に祭壇を飾る花々は白を基調としながらも、色とりどりの美しいものである場合がほとんどです。故人の好きだった花をお供えしたいという要望も多く、のこされた方々の気持ちを花に託して故人に贈るお供え物でもありますので、心を込めて選んでいただければ結構です。

お墓はなぜ建てるのですか?

故人が眠る場所であり、皆さまが集う場所だからです。

お墓とは、この世に生を受けている私たちと故人が集う場所です。たとえ自分の家にご先祖さまをお祀りする仏壇がなくても、寺院などにお墓が建てられてさえいれば、いつでもどなたでもお参りすることができます。いつでもご先祖さまや大切な方に出会うことのできる場所となるのです。

人生の岐路に立ったとき。右か左か悩んだとき。お墓に足を運び、両親や亡き伴侶、ご先祖さまの前で決断をする方もいらっしゃいます。一人では決めることができなくても、そういった方々の後押しがあれば進むべき道が開けてくるでしょう。

昨今、海への散骨や衛木葬など、様々な遺骨の埋葬法が提案されています。それを選択するのは各家各人の考えかたによりますが、菩提寺と相談するとともに、家族や親族の皆さまが集える場所をお持ちいただきたいと願っています。

故人が成仏できているのか心配です。

葬儀を終えた方は、必ず成仏できています。

成仏とは「仏に成る」ということ。お釈迦さまと同じ安らかな境地で、仏さまの世界に安住していただくということです。

葬儀のなかで戒を授かることによって、亡くなった方はお釈迦さまの弟子となります。そして、仏弟子としての新しい名前である戒名を受けて、お釈迦さまの悟りの世界へと向かいます。授戒によって、故人は仏さまと同じ存在となり、成仏されるのです。したがって、葬儀を行って送ったのであれば、その方は必ず成仏しています。

法事は何回忌まで勤めればいいですか?

先祖供養に終わりはありません。

ご先祖さまの恩に報いるために供養を続けていくわけですから、先祖供養に終わりはないというのが本来の答えになります。

ただし、実際には法事は三十三回忌か五十回忌で弔い上げとすることが多いものです。もちろん菩提寺によってはそれ以降の法事を行うこともあり、百回忌、百五十回忌、何百回忌とお勤めすることもあります。

「誰もそのご先祖さまの顔を知らなくなったあたりで弔い上げとする」というような考えもありますが、出会ったことのない、顔も知らない多くのご先祖さまのおかげで、私たちの今があります。ご先祖さまのことを直接知らなくても、ご先祖さまとしっかりとつながっている証しとして、私たちが存在しているのです。知っている方だけを供養しても、本来の供養の意義には適いません。ご先祖さまへの感謝の気持ちを、いつまでも胸に抱き続けていたいものです。

数珠の持ちかたを教えてください。

房を下にして左手でもちます。

曹洞宗では、数珠は左手の親指以外の四指にかけて房が下にくるようにして持ちます。

数珠の玉の数は、煩悩の数とされる百八個を基本として、半連(はんれん)とよばれる五十四個のものや、四半連とよばれる二十七個のものなど、いくつかの種類があります。玉の数が多くなると数珠が長くなるため、そのような場合は二重にして持ちましょう。また数珠を持って合掌をする際は、数珠を左手にかけたまま両手で挟むようにして手を合わせます。

数珠とはもともと念仏の数をかぞえるための仏具でした。お釈迦さまが在世だったころにはすでに存在していたとされ、仏教の歴史が詰まった仏具でもありますので、大切に扱うようにしてください。

数珠が切れてしまいました。何かの前兆でしょうか?

形あるものはいつか必ず姿を変えます。

心配されなくても、それが世の常の姿です。何か不吉なことを表しているわけではありません。お釈迦さまが説かれた無常という教えは、世の中にあるすべてのものは移り変わっていくという、物事の真理を示したものです。形あるものがやがて壊れるのは自然なことですので、不安に感じていただかなくても大丈夫です。安心してください。

切れてしまった数珠は、寺院へ持参していただければお預かりすることもできます。また仏壇店などに持っていけは紐を交換して直すこともできます。紐が切れるほどたくさんお参りをされた証拠ですので、不吉どころかむしろ誇らしい出来事でしょう。手放すのではなく、直してこれからも長く大切に愛用されてはいかがでしょうか。

後継ぎがいません。仏壇やお墓をどのようにすればよいですか?

そのための菩提寺です。

寺院は、後継者がいなくなった家の供養を引継ぐ役割も担っています。そのために永代供養という選択もあります。ただし、この永代供養というものの考えかたは、寺院によって違いがみられるので注意が必要です。

寺院が続くかぎり供養を続ける。何回忌かまでに区切りをつけて供養をする。お墓を建てずに、遺骨を預かって供養をする。どれも実際に永代供養として考えられているものです。

後継者の問題というものは、家庭によっていろいろなケースがあります。その家々によって解決方法は異なりますが、菩提寺は必ず力になってくれます。一度菩提寺のご住職と相談してみてはいかがでしょうか。

仏壇のお祀りの仕方を教えてください。

最上段に一仏両祖さま、一段下がってご先祖さまの位牌を安置します。

仏壇はいつまでに準備すればいいですか?

四十九日までに準備できることが望ましいです。

四十九日までの中陰のあいだは、位牌をはじめ、あらゆるものに「仮」を意味する白木を用います。したがって、それらを正式なものへあらためる四十九日までに準備できることが望ましいです。またその際は、必ず菩提寺のご住職に性入れをお願いしましょう。性入れによって、仏壇ははじめて信仰の対象となるからです。

ちなみに「私の家にはまだ仏さまがいないから仏壇は必要ない」と考える方もいらっしゃいますが、じつはそうではありません。仏さまとはご本尊さまを意味する言葉でもあり、ご先祖さまだけを意味する言葉ではないのです。そもそも仏壇は、家庭の中に建立した小さな本堂であり、ご先祖さまの位牌を安置するだけの場所ではありません。たとえ安置する位牌がないお宅でも、仏壇を準備する意義は大いにあります。

仏さまに感謝する心は、命に感謝する心と同じです。日々の生活のなかで仏壇に手を合わせることには、大切な意味があります。その心を永く次の世代に伝えていくために、仏壇を準備していただきたいと思います。

仏壇の向きについて教えてください。

どちらの方角でもかまいません。家の間取りと関係しますので、必ずこうでなければいけないという方角はありません。寺院の多くは北を背にし、南を向いていますので、それにならっても結構です。

仏教は西(インド)から日本へと伝来したので、西を向いてお参りができるよう、仏壇は東向きにするという考えもあります。また、伝統的な仏教の世界観のなかでは、私たちが住む姿婆世界は南にあり、北を向くとお釈迦さまが暮らしている須彌山という山があります。

お釈迦さまに向かってお参りすることが望ましいため、北を向いてお参りができるよう、仏壇は南向きにするといつ考えもあります必ずしも方角にこだわる必要はありませんので、実際の生活を考慮して決めていただければ結構です。

子どもにも仏教にふれてほしいです。どうすればいいでしょうか?

日々お参りする姿を見せることが一番です。

仏教とは、亡き人に向かい合うことで、今ある命に向かい合う教えでもあります。仏壇やお墓をお参りする姿をお子さまに示し、命の尊さを伝えていただくことが一番良い方法ではないでしょうか。

私たちの命は、両親や祖父母、さらには果てしなく続くご先祖さまたちによって受け継がれてきた命でもあります。私たちがいただいた、たった一つのこの命は、あたりまえのようにある自分だけの命ではなく、ほかの多くの命によって生かされている、かけがえのない命なのです。

親が感謝の心を大切にしていれば、子どもも感謝の心に気づきます。子どもは仏壇やお墓にお参りするご家族の姿を見て、命に感謝する心の大切さを学ぶのです。

また各地の曹洞宗寺院では、子どもを対象とした坐禅会などが開催されることがあります。そのような場所で仏教とふれることも良い経験です。詳しくお知りになりたい方は、お近くの曹洞宗寺院にお訪ねください。

亡くなった人はどこにいるのですか?

お墓・仏壇など、手を合わせる場所すべてです。

故人は葬儀を経て、お釈迦さまの悟りの世界へと向かいます。この「悟りの世界」という言葉は、「お釈迦さまのもと」や「仏さまの世界」と言い換えることも、「苦しみから解き放たれた安楽の世界」と言い換えることもできます。それらは詰まるところ、すべて同じことを表しています。

仏教には、香りを施すところに応じて、仏さまやご先祖さまが姿をあらわすという信仰があります。それと同じように、心に故人を想うとき、その心に故人は姿をあらわします。心にあらわれるその紛れもない故人に向かって、私たちは手を合わせているのです。

お墓や仏壇や位牌というものは、霊験を帯びた信仰の対象です。手を合わせる場所すべてに故人はあらわれますが、自然と手を合わせて故人を思い浮かべるのは、やはりお墓や仏壇に向かい合ったときではないでしょうか。だからこそ「故人の眠る場所」という仰の象徴を、大切にしていただきたいのです。

過去帳の意味を教えてください。

ご先祖さまの歴史が詰まった精霊簿です。

各家にある過去帳には、その家のご先祖さまから現在に 至るまでの家族の俗名、没年月日、没年齢、戒名などが記さ れていることが多いものです。 いつの時代も、当主や家族が懸命に家を守り、脈々と命を受け継ぎ続けてくださったからこそ、私たちは今ここに暮らすことができています。

過去帳はそういったあたりまえの事実を今一度再確認させてくれるものであり、感謝すべきご先祖さまを供養するための精霊簿となります。なお、家の過去帳とは別に、寺院には檀信徒各家全体を対象とした過去帳が存在しますが、これは寺院住職だけが管理し、かつ守秘義務が伴うものですので、一般の方々が閲覧することは決してできません。

お供え物はいつ下げればいいですか?

お参りが終わったら下げていただいてかまいません。

曹洞宗の修行道場では、朝と昼のお勤めの際にお膳のお供えをします。そしてこれらのお供え物は、お勤めが終わったら下げます。またお供えに使用した具材は、あとで味噌汁の具などに使い、自分たちでいただきます。

ご自宅の仏壇にお供えした仏飯(ぶっぱん)などについてですが、お供えしたあとは、お下がりとして召し上がっていただければと思います。水を換える際も、流しに捨てるのではなく、庭木にあげるなどして生命が廻るようにしてあげてください。私たちは大きな縁のなかで互いに関係しあい、関わり合って生きているのですから。

曹洞宗のお坊さんの正しい呼び名というものはありますか?

住職なら「方丈」が正式名称です。

私たちは普段、いろいろな名前でよばれています。「おっさん」「和尚さん」「住職さん」「方丈さん」、若い者であれば「若さん」など。どのようによんでいただいてもかまいませんが、住職の正式な呼び名は「方丈」になります。

よく使用される「おっさま」は曹洞宗の僧侶の敬称である「和尚」が語源です。「和尚さま」を縮めて「おっさま」。意味がわかりにくいのは「方丈」でしょうか。

修行道場には「起きて半畳寝て一畳」という言葉があります。坐禅を組むときは半畳、眠りに就くときは一畳。修行に必要な空間はそれだけで事足りるという意味です。古来、寺院住職の部屋は一丈四方(方丈)の正方形でした。つまり「方丈」とは住職の住む部屋を指し、転じてそこに居住する住職を意味する言葉となったのです。

法事のお供え物は何を用意すればいいですか?

故人にお供えしてさしあげたいもので結構です。

お供え物に何を準備すればいいのかということを迷われる方は、思いのほか大勢いらっしゃいます。あまり難しく考える必要はありませんので、故人にさしあげたいものを思い浮かべていただければ結構です。

花や菓子や果物、畑で獲れた野菜に地域の特産物。これらのお供え物は、基本的には法要後にお下がりとして参拝された皆さまにお配りをします。お下がりとはご本尊さまやご先祖さまからのいただき物という意味ですので、ありがたく皆さまでいただきましょう。

仏教にはなぜいくつもの宗派があるのですか?

お釈迦さまのどの教えを大切にしているかが違うためです。

お釈迦さまはその生涯のなかで、千差万別の悩みを抱え、それぞれに個性も違うたくさんの人々を苦しみから救うために、様々な方法や手段を用いて教えを説き、人々を導きました。そのお釈迦さまが亡くなり時代が下ると、お釈迦さまが説かれた膨大な教えの数々は、整理系統化されていきました。

やがて弟子たちのあいだには、どの教えを修行の主眼にするべきかという見解の相違がみられるようになり、いくつものグループに分かれるようになりました。それが宗派の違いが生まれた理由です。ただし、違いはあってもそこに優劣はなく、どの宗派であっても起源はお釈迦さまの説かれた教えただ一つです。

亡くなった人が私たちに何か災いを起こすことはありますか?

ありません。

死者が災いを引き起こすという考えは、日本人が古くから信じている、死者あるいは死そのものに対する怖れが生み出した考えなのでしょう。仏教にはこのような考えはありません。亡くなられた方は仏さまとなって、のこされた家族を見守ってくださる安らかな存在となります。

亡くなられた方のことを、災いを引き起こす存在としていたずらに怖れるのは、その方の尊厳と、その方を慕う方々を傷つけることになります。そのような言動は控えてください。

三仏忌とは何ですか?

お釈迦さまの生涯における、三つの重要な出来事の総称です。

三つの重要な出来事とは、「降誕」「成道」「涅槃」になります。それぞれについて説明いたします。

降誕・・誕生された日。四月八日にお生まれになったとされることから、この日には花御堂のなかに生まれたばかりのお釈迦さまの像(誕生仏)をお祀りし、甘茶をかけて祝福の法要を行います。

成道…悟りを開いた日。菩提の下で八日間の坐禅の末、十二月八日に悟りを開いたとされるお釈迦さまの故事にならい、修行道場では十二月一日から八日の早朝まで、「曖八摂心」とよばれる坐禅三昧の修行が行われます。

涅槃・・亡くなられた日。お釈迦さまは死の間際まで説法の旅を続け、二月十五日、八十歳でその生涯を閉じられました。お釈迦さまのご遺徳を偲ぶため、各寺院ではお釈迦さまの最期の様子を描いた涅槃図をかけて、仏法を受け継いだことに対する感謝のまことを捧げます。