本堂天井絵「龍之図」― 常堅寺に受け継がれる祈りと歴史
常堅寺の本堂には、天井に龍を描いた「龍之図」が伝えられています。その由来を記した資料には、仏法を守る龍への信仰と、本堂の再建を支えた人々のご縁がつづられています。
なぜ、お寺の天井に龍が描かれているのでしょうか
龍は、雲を起こし、雨をもたらすとされる想像上の生き物です。仏教では、仏さまの教えを守る「龍神」として大切にされてきました。
常堅寺に残る記録でも、本堂の天井に龍が描かれたのは、仏法を守護する存在としてあがめられてきたためではないかと説明されています。本堂を見上げるとき、その姿から、仏さまの教えや祈りの場を大切に守ろうとした人々の思いを感じることができます。
火災と本堂再建の歴史
記録によると、常堅寺は文政2年(1819年)6月10日、第十三世・竜海大和尚の代に火災に遭い、本堂を焼失しました。
「龍之図」は、その後の本堂再建に際して寄進されたものと伝えられています。記録の筆者は、当時のご住職の名が「竜海」であったことも、龍を描いた理由の一つではないかと考えています。
天井絵をめぐる人々のご縁
由来の記録には、芦東山の甥にあたる仏師・芦正太郎胤恭(あし しょうたろう たねやす)と、渋民の小野寺家、のちの藤江家との関わりが記されています。
芦正太郎は、京都で仏像制作を学び、「北郷」と号した人物として紹介されています。記録は、こうした仏師の歩みと、芦家・小野寺家の縁戚関係をたどりながら、天井絵の制作と寄進の由来を伝えています。
また、小野寺家には、常堅寺から「永代院号を付与する」とした書付が残されていると記されており、お寺と地域の人々との深いつながりがうかがえます。
これからも、大切に受け継ぐために
本堂の「龍之図」は、絵そのものに加え、その由来を語り伝えてきた人々の思いとともに、今日へ受け継がれています。
常堅寺では、こうした記録を大切にしながら、お寺の歴史と、地域の皆さまがつないでこられたご縁を、これからも伝えてまいります。
※本稿は、千葉榮氏(榮山)による「門崎村常堅寺本堂天井の『龍之図』古事来歴について」をもとに構成しています。制作・寄進の経緯や人物の事績には、同資料に記された伝承や筆者の考察を含みます。

